私的創作論 ※随時加筆修正
用語
モチーフ・・・動機・理由・主題。アンパンマンでいうと『正義の味方』『パン』
テーマ・・・主題。物語通しての指針。アンパンマンのテーマは深良いぞ。
シノプシス・・・あらすじ。5W1H。物語の設定。
ログライン・・・あらすじを短文で要約したもの。宣伝文句に使えるようなツカミ。
プロット・・・物語の流れ、構成。時系列(ストーリー)ではなく因果関係。
シークエンス・・・箱書きの箱、一連の断片。シーンやエピソードとも。
シーン・・・シークエンスを更に細かく区切ったもの。小バコ。
コンストラクション・・・箱書き。全体の構築。この波の形はすべてのエンタメに通じる。
ダイヤモンドベースプロット
起承転結で詩は作れても物語は作れない……が、◇型に以下の要素を配置できてしまうので四幕構成と言えなくもない。けれど脚本構成の話をする時は大体、三幕構成で語られるので◇の上半分は第二幕としたほうが良い。詳しくは三幕構成-wikipedia参照。そもそも日本は序破急があるのだからそれで語れ。
第一幕
オープニング・セットアップ
↓
第二幕
対立・衝突
ターニング・アクションポイント1
↓
(サブプロット1)
↓
ミッドポイント
↓
(サブプロット2)
↓
第三幕
解決
ターニング・アクションポイント2
↓
エンディング・一枚の絵画のように
(スタート時点と対比・変化があるようエピソードを重ねると美しい)
参考元 → 『SAVE THE CATの法則』『榎本憲男さんのtogetter』『マンガの創り方』
プロット≠時系列
『パルプ・フィクション(パズル感)』『メメント(地獄かって思った)』『マルホランド・ドライブ(???)』『カメラを止めるな!(とりあえず40分観て)』あたりの映画観るとわかる。プロットは面白い。
回想シーンなんかが分かりやすいか。ワンピースのキャラのバッグボーンの出しかた妙技だと思っている。
三の法則 Magic “3"
天丼を重ねるのは三回まで。逆に言うと三回重ねないと印象に残らない。何にでも使える。変化をつけるのもまた乙。
例:『手を繋ぐ』 嫌々繋ぐ → 窮地を抜けるために繋ぐ → 喜んで繋ぐ
これだけでちょっとしたストーリーラインになる。ミニマムな三幕構成の図。
振りと落ち
三の法則とはまた別。振ったらちゃんと落とす。期待を上げたら応える。カタルシス。隠してるのが伏線。
クッキングシーンをいれたら、食べるシーンをいれる。ないとがっかりするんよ……(たまにある)
上は単純な例だけど振りで”ない”と思わせて落ちで”ある”とか、種類は色々。
大きな話、オープニングとエンディングがそれ。
オーディエンス
お手軽にカタルシスを演出する舞台装置。
校舎裏の伝説の木の前でひっそり告白するより全校生徒の前でした方が盛り上がるっていうお話。
印籠や余の顔をつきつけるのが悪代官一人じゃ興醒めってもんよ。ここ一番の見栄と啖呵は観客がいる。
投影よりも共感
異世界トリップ・転生ものなどで如実なのだが、自己(作者・読者)投影よりも共感性の方が個人的に”刺さりやすい”と思っている(まぁ性差による好みの違いもあるかもしれないが)
主人公ではなく、主人公の仲間になったような気分。没入感は主人公にだけあるものではない。
異世界ものの場合 ”現代日本の常識” がその共感性の最たるものになる(作者側が説明文を書きやすいというメリットもあるが)
そもそも共感性が得られない主人公に自己投影は難しい。
私はなろう系の戦争描写で麻薬使って敵勢力壊滅させる話が無理だった。
味方が寡兵故に手段への理解はできるので、主人公が覚悟ガン決める描写があるか、罪悪感で潰れそうになるのをヒロインが慰める~って描写があればいけた。むしろ両方欲しい。なぜなかった。いやあったのかもしれないが記憶が薄いし読み返したくない。
作品として胸糞系を描きたいって確固たる意志があるのならいいが(『ファニーゲーム』のように)チーレムでそれはなんかなぁ。
ただ確かその作者さんは他の作品でもそういう路線だったと記憶しているので、作風としてそのまま突っ走ってほしいとも思う。めちゃくちゃ話がそれてしまった。
しかし読者が現代日本人である以上、倫理観ってまぁ共感には大事よねって。SAVE THE CAT。
一にキャラクター、二にキャラクター、三四が容姿で五に話
創作論語る人でたまに『キャラクター』と『キャラ』という二つの単語をそれぞれ別の定義で語っているのに、人によってそれらの定義が逆だったりして混乱することがあるのだけれど、ここでは登場人物そのものとして扱う(というか混乱するので『キャラ・キャラクター』と『属性・テンプレ』って単語で分ければ良くね? と思う)
とにかく人間さえ描けていれば、物語は面白い。観るのは人間だもの。
オタクは大体ストーリーよりもキャラクターに金を出す。キングのスタンド・バイ・ミーは名作だけどもグッズ欲しくなるのはドラえもんの方。
JOJOでお馴染み荒木飛呂彦先生の漫画術に載っていた漫画の”秘伝のタレ”『キャラクター身上調査書』を実践したもの。自作テンプレ。流石に主要人物の分しか書き出しはしないけれど、モブであろうとおぼろげに考えはする。というか浮かぶ。オタク用語で言うキャラの解像度を上げる作業。
私が最も重要視するのは家族関係と四歳までの環境。根本。モブであろうと自然と浮かぶ。現状からの逆算。むしろ浮かばないのなら人間が描けていないと考える。
作品によっては含みをもたせる、読者に自由に想像してもらうために、あえて深く設定はしないというスタンスもある。そのケースでも「あぁきっとこのキャラには下の兄弟がいるのだろうな」とか「いやあえてその立場に憧れてのそれかも?」と想像させられれば、そのキャラクターは活きている。
読者の記憶力とか教養とか読解力とか
一般とは、平均とは、うごごごごごと頭を抱えたくなるが、個人的に下にあわせることはしたくない。
例えば「月が綺麗ですね」が通じるか否か説明をするべきか否か。そもそも使わないか。
1から10まで説明するのは流石に読者馬鹿にしてない? って。
でもそうしないと理解ってもらえないんですよ……なんて話を聞きはするし実感もある。身内の話だが某娘アニメ全シーズン全話視聴しているのにクラシック三冠を覚えていないし、今流れているシーンが回想シーンだと気づいていないだとか。それにあわせたらやってられんわ、と。
上にあわせすぎても置いてけぼりになるけど、グレッグ・イーガンくらい突き抜けたれ。なるほどわからんでもおもしろい。
創作側が留意すべきは難解か平易かの良し悪しではなく、今描くものの作風がどのスタンスなのかを分かって、決めて、一貫させることかなと思う。
私のスタンスはどれでも ↓ な感じ。
兄様。今夜も、明日も、明後日も、この先もずっと、月は綺麗ですよ。
……それなら、いつ死んでも良いな。
抱きしめてはくれないのですか?
調子に乗るな愚弟。
そこはかとなくもののあはれ。
もののあはれ
情緒がない物語は歴史の教科書のようなもの。
テーマとは羅針盤である
ないと迷うぞ。マジで。むしろ迷った時に見るものでもある。モチーフやマクガフィンと絡ませるのも面白い。今石洋之監督作品などはそのあたりが絶妙。
性別の違い
『話を聞かない男、地図が読めない女』とりあえずこれ読もう。後天的に堆積される偏った先入観どうこうの前にまずこれやろって思う。特に恋愛を描写したいなら男と女の生物的違いを知っておくことを勧める。
なのでBLで告白後即ベッドインは理に適っていると思う。しかしBLの受がバリバリ女脳だと萎える。男前な受が癖です。
『冷静と情熱のあいだ』の原作小説は同じ時系列を男女二人の作者が描写しているので思考と表現の違いを比較しやすい。
芝居
キャラクターに棒立ち・首振り会話をさせるんじゃない。芝居をさせろ。
実写作品や小説原作のアニメでよくあるので他山の石。逆に舞台演劇は過剰なまでに芝居をしているので参考に。どの程度芝居させるかは作風によるけれど、冒頭言った通り棒立ち・首振りは怠慢よ。
用字用語辞典に載っているようなこと
例えば副詞・接続詞はひらがな表記だとかは、吹き出しへの収まり具合を優先している。句読点もあったりなかったり。
ただし、キャラづけによっては、誤用に注意したり、あえて崩したりもする。
戦国時代大好き設定なキャラが「火蓋は切って落とされた!」とか言い出したら萎える。
※切って落とすのは幕。火縄銃の安全装置落とさんといて。